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ナポレオン軍の猛攻の前にフィンランドは降伏し

1809年、ナポレオン軍の猛攻の前にフィンランドは降伏し、フィンランドはフレデリクスハムンの和平(en;Treaty of Fredrikshamn)でロシア領に組み込まれた。そして北欧諸国家の中にロシアという「異質な」国家が入り込んだことにより、ラップ追加条項は事実上その意味を失い、特に「山岳サーミ人」の遊牧生活は窮地に立たされた。またこれに追い討ちをかけるように1852年にはノルウェーとフィンランドの国境が、1888年にはスウェーデンとフィンランドの国境が閉鎖されてしまう。

ロシアの統治下においても、サーミ人は納税の義務を課されていたが、議会に参加することは許されなかった。代表のいない議会においてサーミ人の権利が議論され、その結果、サーミ人と土地、水使用権は全く無視される事態になったのである。さらに、サーミ人の狩猟文化の経済的基盤は、トナカイやビーバーといった狩猟動物が乱獲されたことにより完全に打ち壊された。そして、狩猟動物の減少に伴い「ラップ税」の納税が不可能となり、ついに1924年、完全に廃止されたのである。これは同時に、彼らの権利の縮小にもつながっていった。

以後、サーミ人の課税対象外の土地を求めての移住と、それらの土地を「公地」化しようとする動きが繰り返された。

第二次世界大戦後、Skoltサーミ人の土地が旧ソ連に割譲され、その結果、Skoltサーミ人の大多数がフィンランドに移住した。

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行政・社会的地位サーミ人の社会的立場は、1992年にフィンランドで施行された「サーミ言語法」と、「サーミ人本草案」によって規定されている。この中で、サーミ人とは、「ラップ税」を支払っていたサーミ人の子孫たち、あるいは、上記のようなサーミ人の出自を持ち、本人自ら、もしくはその両親、祖父母の中に少なくとも一人がサーミ語を第一言語として学んだ人がいる者、あるいは、その子孫であると定められた。つまり、民族を規定するものは、言語であるとの見解が取られたのである。これにより、何らかの事情でサーミ語を第一言語として学んだ外国人をもその範疇に含むことになってしまったが、民族を言語によって規定するといった方法自体は、サーミ人にも比較的穏やかに受け入れられた。

また、サーミ人が自分たちのアイデンティティを確立ないし獲得するために設立した、以下の組織が存在する。

サーミ議会
フィンランドに住むサーミ人によって4年ごとに選出される20名の議員から構成される民族特別議会。
サーミ代表団
フィンランド領ラップランド県の県知事、5名のフィンランド関係庁代表者、5名の「サーミ議会」代表者によって構成される。この組織は北欧諸国の国際的機関である「北欧評議会」(en;Nordic Council)、「北欧閣僚評議会」がサーミ問題に関して各国に行う各種の勧告に対するフィンランド行政側の受け皿として作られた。

サーミの社会 [編集]
サーミとは決してトナカイ遊牧専業の民のみを指すのではない。それらの民はサーミ全体の10パーセントに過ぎず、トナカイ遊牧以外の生活様式を持った人々のほうが、圧倒的多数なのである。  サーミは、大きく分けて五種類の生活様式に分類できる。

山岳サーミ人
大規模なトナカイ遊牧を専業とする人々。「サーミ人」と聞いて連想されるのはこの系統の人々であり、北欧諸国家が観光資源として活用しているサーミ人のイメージもこれが元となっている。もっとも、現在ではトナカイの遊牧のみを職業としている人は皆無に等しく、その他副業として第一次産業についている人がほとんどである。
海岸サーミ人
ごく少数。サガに描かれた交易の民とは彼らのことを指したと思われるが、現在では他のスカンディナヴィア人と変わらない生活を送っており、その生計の中心は漁業を含めた第一次産業、第三次産業にある。
森林サーミ人
小規模のトナカイ放牧を行う人々で、漁業、農業やその他第三次産業との兼業を主としている。山岳サーミ人と森林サーミ人における違いは、その飼育するトナカイの種の違いから来ている。山岳サーミ人が飼育するトナカイは広大な牧草地とそれに伴う長距離の移動が必要な種であるが、森林サミ人が飼育しているのは、森林の周辺に生える地衣類を主食とし、大規模な移動を必要としない種なのである。
河川サーミ人と湖サーミ人
この2つの間に明確な違いはない。ただ、漁業を主とする人々であることが共通している。この二つを分ける要素は、その漁場の違いである。「湖サーミ人(イナリラップ)」は、フィンランドの最北部に位置するイナリ湖で漁業を行う人々(1996年現在でおよそ20人程度)を特に指し、「河川サーミ人」はその他大小の川で漁を行う人を指すのである。
このように多様な生活様式を持つサーミ民族であるが、以下で本来のサーミ民族の社会について説明する。

サーミ民族の社会を支配していたのは、シイーダ (Siida) と呼ばれる多数の親族からなる集団であった。

シイーダのリーダーはそのシイーダ内の最年長の男性もしくは女性が勤め、日々の生活、つまり、いつトナカイを移動させるか、どのメンバーがどこの湖で漁をするか、どれだけ採るかといったことを決定した。トナカイを飼うサーミ人の場合、シイーダの構成員はそれぞれが各自のトナカイを所有しているが、飼育や管理は共同で行っている。また漁業を行うサーミ人のシイーダは同じ漁船に乗る男たちによって構成されている。このような組織は広大な土地を小人数で管理する際の有効な手段として開発され、長い歴史の中で発展したものだった。また異なるシイーダ間においても長老同士が、様々な問題を解決するための一種の協議会を形成していた。

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2009年04月15日 14:52に投稿されたエントリーのページです。

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